失敗できる時代を生きていた人は幸せ

2008/6/16-1

「新人が育たない」「同じ人がずっと管理/運営をし続けている」という話(悩み)を聞く事があります。 この話を聞く度に、教育や引継ぎは時として非常に難しいと思うとともに、失敗できる時代を生きれた人はある意味幸せなのではないかと思う事があります。

ある特定の作業がインフラ化する前から色々と出来た人は、恐らく様々な実験を行いながら経験を積んでいます。

失敗が許される環境、許されない環境

インフラ化する前であれば「失敗」が許されます。 失敗をする事は良いことではありませんが、それによって誰かの人生が終わるぐらいの事にはなりません。 大目玉を喰らって激しく落ち込む程度で済みます。

しかし、利用者が多くなり、インフラ化すると実験をする事は許されなくなり、無難に運営する事が第一になってしまいます。 自由に楽しく学ばせる事よりも監視下で失敗をさせない事に主眼が置かれがちです。 自由に楽しく学ばせるための箱庭を整備するなどの方法もありそうですが、時代の変化とともに実運用を手探りでやる感覚を味わうのは難しいのかも知れません。

16年前のインターネットであれば、恐らく"ちょっと"ルータの設定等を失敗をしてしまってBGPでとんでもない経路を流してしまっても世界的なニュースになる事は無かったと思われます。 jpドメインを司る全てのDNSが数分間停止しても、1億人から怒りの声が届くような事態にはならなかったと思われます。 ちょっとしたICMPを送るとルータがバタバタと死んでしまうような事があっても、テレビでそれが大々的に取り上げられる事はなかったと思われます。

今は、そのような失敗はもはや許されません。

最近では、パキスタン国内からYouTubeへの接続性を無くそうとしてダミー経路を国内向けに流していたものを、間違ってBGPで世界に向けて公告してしまい、YouTubeへの接続性が世界中で一時的に失われたと言われている事件がありました。 詳細な情報が語られないにしても、様々なところでニュースとしては取り上げられていました。

根性論が正しい状況と、プレッシャーにしかならない状況

根性論や、やる気論が美徳として語られる時があります。 個人的には根性論は失敗が許される環境では非常に価値がある概念だと思います。 そして、失敗が許された時代の人にとっては根性論が正しい事なので、それを後続に求めがちです。

しかし、失敗が許されなくなった環境では、根性論はプレッシャーにしかならず欠点が利点を上回りがちになるのではないかと最近では考えるようになりました。 さらに、失敗を重ねる事によって多大な経験を保有するに至った凄い人が語る根性論は、後続を萎縮させてしまうかも知れません。 まあ、ケースバイケースなので一概には言えませんが。。。

今もどこかで何かの業界が生まれつつあるはず

既にインフラ化してしまった物はそのような状態になっていますが、数年後にインフラ化(もしくは一般化)するような潜在的なサービスが今もどこかでひっそりと運営されているはずです。

運用ではなく、コミュニティとして参加するという形態もありそうです。 今は全然流行していないが、10年後に流行するところに早いうちから参加できた人と出来なかった人というのは、全く違う経験をすると思われます。

それが何かはわかりませんが、そのような状態の時に色々と実験できて経験を積めるというのは、実は幸せな事なのだろうと思います。

でも、これって一般的な話かも

ただ、実はこれはサービスに限らず、何らかの事柄を最初にやり始めたということ全般に言えるのかも知れません。

例えば、何らかの企業や団体を20代や30代のメンバーが中心になって立ち上げたとします。 最初は非常にニッチで誰も見向きもしなかったものが、徐々に注目されていき、業界を形成したとします。 そのような経験を積んだ人々が形成する人脈が中心となる「業界」が形成され、同じメンバーがリーダーシップを発揮しながら数十年業界を先導するという現象は珍しくないと思われます。

初期メンバーが優秀であればあるほど、後続メンバが育ちにくくなるという状況は皮肉な話だと思う今日この頃です。

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