米国のイノベーションと軍事予算 - シリコンバレー誕生秘話

2014/10/8-1

昨日、ノーベル物理学賞を受賞した中村修二教授の記者会見記事が公開されていました。

その記事には、以下のように、軍の予算を獲得するために必要だったので米国籍を取得したとあります。

--米国籍を取得した理由は。

「こちらの大学で研究する上では、米国籍がないと軍の予算がもらえないし、軍に関係する研究もできない。それで市民権を取得した」

米国の大学関係者と話していると軍の予算に関する話題がチラホラ登場するのですが、昨日の日経記事を見ていても、米国の大学において軍の予算が非常に大きな意味を持っていることが垣間見える内容だと思いました。

中村修二教授の話題に関連して、様々な方々がIT起業について議論しているのですが、ITやインターネットに関連する話の背景としても、莫大な米軍関連予算が存在していることが多い印象です。

シリコンバレーと米軍の予算

IT起業に関連した話題で「海外のような起業ができないので日本は駄目だ」といった話をする人が私のまわりでは非常に多いのですが、そういった方々が念頭に置いているのは米国のシリコンバレーです。

シリコンバレーを例として考えたとき、「日本が諸外国と比べて圧倒的に駄目」なのではなく「米国が凄く特殊」だというのが、最近の私の感想です(だからといって日本の環境が良いと言っているわけではありません。念のため)。莫大な軍事予算があったからこそ、今のシリコンバレーの形があるわけですし、いまでも米軍関連の研究予算が様々な大学に大きな影響を与えています。

そういった感想を持つようになった要因のひとつが、Steve Blank氏による以下の発表です。

The Secret History of Silicon Valley

シリコンバレーの歴史に関しては、「シリコンバレーはどういう経緯でITベンチャーなどが育つ土壌ができたのだろうか?」といった内容で講演を行っているSteve Blank氏の映像が面白いです。

私がSteve Blank氏の講演を最初に見たのは2008年でした。Google社内で行われる勉強会の様子が「TeckTalks」というシリーズとしてGoogle Videos(YouTube買収前に開始され、YouTube買収後に廃止されたサービス)に掲載されていました。

Steve Blank氏は、その後、各所で同様の講演をしているようです。以下のビデオは、2002年にUC Berkeleyで行われたものです。

Steve Blank氏の講演によると、シリコンバレーが今の状況に成長した背景は、第二次世界大戦にさかのぼります。

1940年代に、米英の空軍と戦うために、ドイツ軍がレーダーシステムであるHimmelbettをヨーロッパ中に配備したり、戦闘機の機首にレーダーを搭載して夜間の爆撃機を撃墜しており、米英の空軍は出撃する度に4-20%の乗員を失っていました。そのままでは、米英は航空機による攻撃を行えなくなってしまうので、ドイツ軍のレーダーシステムを無力化することを模索しはじめます。

そのために1943年に設立されたのが、800人の研究者を集めたHarvard Radio Research Labでした。ドイツ軍のレーダーシステムを理解するための計測などを行いつつ、それを無効化することを目的とした組織です。

そこでの研究成果として産まれたのが、適切な大きさに加工されたアルミホイルをばらまいてレーダーにノイズを発生させるチャフでした。1943年7月にチャフを航空機からばらまきながら空爆を行う任務が実行され、そのときに英国空軍は乗員を全く失いませんでした。

予算を獲得できなかったスタンフォード

Harvard Radio Research Labのトップは、スタンフォード大学のFredrick Terman教授でした。

「シリコンバレー」はカリフォルニア州北部にある地域の名称では、地名としては「シリコンバレー」というものは存在していません。スタンフォード大学がある場所が「シリコンバレー」になったのも、Fredrick Terman教授が第二次世界大戦後に取った行動がもととなっており、同教授こそが、シリコンバレーのもととなった人物であるようです。

Fredrick Terman教授が第二次世界大戦後にとった行動は、スタンフォード大学が第二次世界大戦中に予算を取れなかったことが関係しているようです。第二次世界大戦で、米国政府は大学に対して戦争に参加するのではなく研究を続けることを求めて、大学に予算をつけるという、当時としては画期的なことをしました。

MITに1億1700万ドル、Caltechに8300万ドル、HarvardとColumbiaが3000万ドルである一方で、スタンフォードには5万ドルだけだったそうです。Fredrick Terman教授は、Harvard Radio Research Labのトップでしたが、それは、電波の教科書を書いていたからだったと講演で述べられています。

Fredrick Terman教授は、スタンフォード大学が他の有名大学と比べて予算が著しく少なかった第二次世界大戦当時の状況を二度と起こさないために、戦争後にスタンフォード内に第二のHarvard Radio Research Labと言えるような組織を作り上げました。Harvard Radio Research Labから11人をリクルーティングし、スタンフォード大学に招くなどして研究を続けました。1950年頃には、スタンフォード大学はマイクロ波の研究でMITと並ぶレベルになっていたようです。

Fredrick Terman教授は、大学を出て会社を設立した研究者に対して様々な協力をしました。Terman教授は、博士の学位を取ることを推奨すると同時に、それよりも起業を勧め、同大を出て起業を行う人々に研究室の機材を提供したり、自身が企業の役員として協力するなどしました。たとえば、Fredrick Terman教授のもとで生徒であったWilliam HewlettとDavid Packardが設立した会社がHewlett Packardです。

その後、米ソ冷戦が始まり、第二次世界大戦当時よりもさらに電子機器の重要性が上昇しました。スタンフォード大学はCIA、NSA、海軍、空軍のインテリジェンスの中心になりました。

この頃に、Fredrick Terman教授の周辺で行われていた起業や研究のモチベーションは危機感であって、利益ではなかったと講演で述べられています。また、ベンチャーキャピタルという存在はなく、起業をしたとしても、顧客がいないとすぐに潰れてしまう会社が大半でした。Fredrick Terman教授の周辺で起業された会社の顧客は軍需産業でした。

シリコンバレーとロッキード

軍用機などを生産するロッキードの拠点が作られたことが、田舎町であったシリコンバレーが大きく発展するきっかけとなったと講演で紹介されています。ミサイル、潜水艦、スパイ衛星を作る拠点がカリフォルニア州のSunnyvaleに設立され、その後、East Palo Altoにも拠点ができました。それにより、多くの従業員が同地域に集まりました。

シリコンバレーのもうひとりの父

講演では、「シリコンバレーのもうひとりの父」としてWilliam Shockleyが紹介されています。第二次世界大戦では、対潜水艦の責任者であり、レーダーを利用した爆撃用の研修の責任者であったとあります。William Shockleyは、レーダー技師の研修を行う企業を設立します。

William Shockleyは、「才能を発見する天才であったが上司としては最悪」だったようで、15人中8人の従業員が嫌になって辞めてしまい、Fairchild Semiconductorという会社を設立、さらにそのうちの二人がその後Intelを設立しました。シリコンバレーにおける非常に多くの人々がWilliam Shockleyの設立した企業を飛び出して派生したものであるようです。

ベンチャーキャピタルの登場

Steve Blank氏の講演の大半は、第二次世界大戦から米ソ冷戦での軍事予算が、現在「シリコンバレー」と呼ばれる地域を作り上げた経緯の説明になっていますが、最後の方でベンチャーキャピタルに関しても言及しています。

シリコンバレーについて語られるとき、半導体であったり、GoogleやFacebookなどのIT企業や、起業家精神などについて語られますが、20代の若者に何百万ドルもの莫大な資金を渡す狂った人々がいる地域が世界中で他にあるだろうか、と言っています。

講演では、ベンチャーキャピタルは、第二次世界大戦後に登場しはじめたとしています。さらにそれらが発展したのは、米ソ冷戦時代だったそうです。ソ連がスプートニク計画(Sputnik)によって、世界初の人工衛星を米国に先駆けて成功させ、米国は、科学技術分野におけるイノベーションをもっと起こさないと負けてしまうという危機感を持つようになりました(スプートニク・ショック)。

そういった背景があり、企業投資に対して75%を政府が負担するSBIC Actが1958年に登場します。1988年には、政府負担が7%に減りますが、そのときの変化が今のベンチャーキャピタルの形態のもとになっているとのことでした。

第二次世界大戦や米ソ冷戦頃は危機感であったモチベーションが、その後は、利益へと変化していったと述べられてるのが非常に印象的でした。

最後に

第二次世界大戦や米ソ冷戦を背景として米国の軍事予算が大量に投入され、その副産物としてシリコンバレーの起業家精神のような土壌が産まれたようです。

こういった背景に関して知った後で、シリコンバレーを念頭におきつつ、日本での起業環境について議論すると面白いかも知れません。

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