そもそもネットに書き込む必要ってあるの?

2013/8/13-1

ブログに何を書くかとか、ソーシャルメディアに書き込むリスクなどの話題が色々と盛り上がっていますが、そもそもネットに書き込む必要ってあるのかどうかに関して疑問なことも色々あります。

これまでは「積極的に書く」とか「何でも掲載する」というのがトレンドでしたが、そろそろ「書かない」ということに関しても真面目に考え始めた方が良いのではないかという気がしています(何でもネットに掲載するというトレンドは個人的には嫌いです→「情報デリカシー」)。

ということで、この文章は、主に「ブログ」について「特に理由がなければブログを書く必要がないのでは」という視点で語っていますが、ところどころソーシャルメディア全般について語っています。

アテンションを獲得して何がしたいの?

私の以前の記事(知名度ゼロからの「ネット影響力」獲得への道)は、基本的に「リアル世界で知名度が必要な業種」とか「中小企業が宣伝を行うため」というように、アテンション獲得活動が必要であると思われる対象を限定して書いていました。 そのため、個人がアテンションを気にせず書き続けることは、以前の記事では対象外です。

しかし、一般的なブログ論は、個人の日記を含めて語りつつもアテンションを集める方法を指導していたりします。

そこら辺から考えていたら、徐々に、「そもそもアテンションを獲得して何がしたいのだろう?」とか「そもそもネットに書き込む必要って無いことが多いのでは?」というような考えにもなっていきました。

発信することのメリットは存在しますが、同時に発信することのリスクというものも存在するためです。

もちろん、それが楽しいからネットへの書き込みを行うのは良いことだと思います。 しかし、続けるうちに飽きてきたり、それが面倒であったり苦痛であったりしたとしても続けるようなものではないよなぁという感じです(商売等が関連して続けるのでなければ)。

元々はIT企業の戦略だったんだよね?

ブログがブームになったのは、役10年前ですが、あのブームはIT企業による戦略という側面もあったという感想を持っています。 それ以前も、コンピュータに詳しい人々が日記をネットに掲載するという流れはありましたが、誰もが気軽にネットに色々とネットに書き込むようになったのは、Web 2.0ブームでした。

で、何故そういった流れになったのかを考えると、Web 2.0企業の利益のためという部分が結構あったように思えます。

当時、ネット広告によって収益をあげることが注目されていましたが、そのためには多くの人々のアテンションが必要です。 アテンションを得るには、映画、テレビ、書籍などのコンテンツを持つ旧来からの組織からコンテンツ提供を受けるという方法がありますが、配信コストや広告収入と比べてライセンスが高額過ぎたこともあり、あまり実現していなかったように見えました。

そこで着目されたのが無数の人々によって「コンテンツを造り上げてもらう」という、いわゆる「Web 2.0的」な方法でした。 Web 2.0企業の視点で見ると、視聴者でもあり、かつ、コンテンツを無償提供してくれる無数のコンテンツ創造者を「活用しよう」というわけです。

無数の人々が無償提供したコンテンツによってアテンションを獲得したIT企業が、そのアテンションをテコにして従来メディアからコンテンツ提供を受けられるようになったという事例も色々あります。 そういった流れもあり、今はもうすでに無数の無料提供コンテンツ獲得にそこまで力を入れてなさそうだと感じることもあります。

あの頃とは違う

IT企業の戦略であったとしても、ユーザにとって便利であったことは確かです。

ユーザ側から見れば、それまではハードルが高かった作業が無償で気軽にできるようになったので、それに乗るような形で、無数の人々が情報発信を行うようになりました。 ブーム当初は、様々な人々がブログに飛びつきました。 「ブログ」がテレビのニュース番組になったりもしていました。

最初に業界が立ち上がるときに熱狂のうちにアーリーアダプタとして参加した人々と、既に当たり前となった後に参入する人々では、体験できる空気感が全くことなることがあります。 Twitterなどもそうだったのですが、最初の熱狂というか「波」に乗ると、凄い勢いで知人が増えたりイベントに参加できたりします。 そういった「楽しい状況」で経験できることって、実は、そのタイミングだったからという側面もあるんですよね。

いまは、「ブログ」とか「Twitter」というテーマで何かのイベントをやったとしても、集まる人々の層が変わってしまっているというのもあります。 10年前であれば、積極的に活用方法を模索している最先端の人々が集まってくるので懇親会とかも凄く楽しいのですが、最近だと「講師と聴衆」のように分かれてしまう傾向を感じています。

当然と言えば、当然ですよね。 たとえば、20年前に「TCP/IP」というテーマで勉強会をやって集まってくる人々と、いま「TCP/IP」というテーマで勉強会に集まってくる人々の「濃さ」って違うでしょうし。

ブームを背景とした読者数上昇

ブログブーム当初は、読者もIT系という限定された層がメインでしたし、いまよりも社会に浸透していなかったので、ある程度迂闊なことを書いても問題が発生せず、むしろある程度迂闊であるぐらいの方が好まれました。

しかし、その後、徐々に「炎上」といった事件が積み重ねられ、意図的に他人を炎上させることを楽しむ放火魔が増えるとともに、最初は無邪気に何でも書いていた人であっても、他人の目を意識して書き込むようになっていきました。 いま、アテンションを集めている人々を振り返ると、昔は勢いで読者を集めていたけど、読者数が増えた後はトーンを落ち着かせたというような事例も色々ありそうです。

ということで、当時のブームを背景として読者数を増やしたり、様々な成功体験をした人々の話って、これからブログを開始して全く同じことができるとは限らないという感想を持っています。

それって、ブログじゃなくても同じでは?

「ブログを続けるメリット」として語られることの多くは、実はブログじゃなくても良かったりもします。

たとえば、「ブログによって新しい人と繋がれる」というような話がありますが、それって、「ブログだから」というよりも、「情報発信しているから」だったりするんですよね。 発表者を公募しているようなイベントであったり、学会や論文誌などで何らかの発表を行うと、それを見た人から連絡が来て新しい繋がりができたりというのは良くある話ですが、それって情報を発信していることが新しい出会いを生み出しているわけです。

「ブログ」という形の情報発信を続けていて新しい出会いが産まれることもあれば、TwitterやFacebookやYouTubeなどで情報発信をしていて新しい出会いが産まれることもあります。 結局は、他人の目に留まるようなコンテンツを世に出し続けるかどうかだろうという感想はあります。 そして、他人の目に留まるための媒体はネットに限りません(ネットが最も間口が広いというだけで)。

「PV上昇」の議論が好まれる要因

当たり前ではありますが、既にネット上でアテンションを獲得した人々の意見が注目されがちです。 そういった人々は、ネット上で情報発信をすることのメリットを体感していますし、場合によっては情報発信を楽しんでいます。

そのうえで、そういった人々はPVを上昇させる独自の方法も、確立しています。 ネット上でのアテンションは、PVと関連しますし。

ということで、アテンションを獲得した人々にとって、「PV上昇」というのは身近であり、かつ、良く知っているテーマなのです。 自分が知っているテーマに関しては書きやすいですし、それを書けばさらにPVを獲得できることがわかっているので、そういった記事が量産されているという側面もあるのではないかと私は考えています。

「ネットに書かない」ことによるリスク回避

あまり読む人が多くはない個人の気ままな日記であっても、「書き続けたい」という理由があるのであれば、ブログを開始すると楽しいかも知れません。 また、たとえ数としては少なくても、ある特定の読者が数人いることがわかっていて、その人々との繋がりを維持したり、新しい出会いを実現したいと思うのであれば、ブログを開始すると色々あるかも知れません。

一方で、「書き続けたい」と思うことがなければ、無理にブログを開始する必要はない気がしています。 もしくは、自分で自由に扱える宣伝ツールを構築する必要性があるわけではないければ、無理にブログを開始する必要はない気がしています。 結局、無理してまでやるものじゃないんですよ。

ネット上で活動しているときに何らかの地雷を踏むと炎上する可能性がありますが、ネット上で自分で何も書き込まず、かつ、何でもかんでもネット上に暴露してしまうような隣人がいなければ、ネットにおける各種リスクとはほぼ無関係で生活できます。 むしろ、特に強くやりたいと思うわけでもないのに無理矢理続けるとリスクばかりが増大します。 本来であれば書かないようなことも、ネタ切れの圧力に屈して書いてしまうことがあるためです。

この他、そもそもSNS等でも特に使いたいと強く思わないのであれば、ネットへの書き込みをしないというのも選択肢のひとつだと思う今日この頃です。

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