人のせいにするのはそろそろやめませんか?

2009/12/24-1

わたしたちさえまともになれば、日本は圧倒的独り勝ちに近づく。 - 情報の海の漂流者」に非常に共感しました。

個人的な感想です。 なお、以下の内容は特定のブログ記事に対する批判というわけではないので、ご注意下さい。

  • マスゴミ、マスゴミと言う人は他人に良質な情報を届けるべく記事を書くか、もしくは良質の記事を探し出して他人に宣伝した方が生産的ではないでしょうか?
  • 問題意識を持った人が自律分散的に良質な記事を生成する活動してこそWebやネットの力が発揮されるのではないでしょうか?誰かに「世界を良くして下さい」と頼んでも、恐らく自分が望むような結果には到達出来ません。
  • 各省庁のWebページを掘るだけで大量のPDFがあります。日本だけではなく海外にも目を向ければネタが枯渇することはありません。足りないのは人々が興味を持てるように噛み砕いて要約したり解釈する人ではないでしょうか?
  • 「これはひどい」と言いながら酷い記事を流布することと「マスゴミ」とは、どう違うのでしょうか?
  • マスコミが造り出す良質な記事をスルーして、酷い記事ばかりに注目してませんか?
  • 本当にマスゴミを潰したいのであれば、マスゴミが困るほど良質な記事を無料公開する努力をした方が生産的ではないでしょうか?
  • 手間と時間をかけずに読者を集める事を望んでいませんか?テレビや新聞は、それこそ何十年もかけて視聴者や読者を獲得する努力をしています。それに対して対抗できる媒体が数ヶ月や数年で構築できるとは思えません。時間をかけて徐々に色々変えて行く努力を地道にするのが実は近道な気がします。
  • まともに時間をかけて取材した番組の視聴率が上昇しないから、「マトモ」な番組が減っているという面はないのでしょうか?逆に言うと「マトモ」だと思うものを時間をかけて視聴して、共感したり褒めたりすることから「視聴者が媒体を育てる」という意識を持つべきなのではないでしょうか?
  • まあ、でも、誰が見ても「マトモ」な物って無い気がするんですよ。結局「マトモ」といいつつ「自分と嗜好が会う」ということだと思います。そして、自分の意見に近い物を宣伝して広めないと、自分の思想に近い人は増えないのだろうと思います。要は、自分の仲間を増やしたかったら自分である程度は努力するしかないということだろうと思います。
  • マスコミの中にだってマトモな人は多くいますし、状況を変えたいと思ってる人も多い気がします。
  • 物事を単純化して考えると意図せざる結果に向かって一直線になる気がします。
  • 読者や視聴者は自分の見たい物を見る傾向があるので、商業化していくとネットであろうが電波を利用した放送であろうが、最終的に商業的にアテンションを集めて勝ち残る媒体の方向性は似てくるのではないでしょうか?それを避けるには一人一人の読者や視聴者が各自で情報を選別して考える時間を持つ必要があるのではないでしょうか。
  • 学研の「科学」や「学習」が休刊になっていて非常に残念がっていた人々が多い反面、その媒体を購入したり読み続けていた人が少なかったのが印象的です。子供用であって、昔の想い出という要素が強いのだろうとは思いますが、やっぱり「皆が購入しなかった」からこそ消えて行くのだと思います。
  • 良質な媒体を維持したり育てたりしてこられなかった一人一人に責任の小さな破片は分散されていると思われます。(ついついキャッチーな記事を好んで見てしまう私を含めて。。。です。)

センセーショナルさが少なかったとしても「これは良い」と思う物を見たり褒めたり、逆に「これはひどい」と思うものをスルーすることを各自がコツコツと始めてみることを提案したいと思った今日この頃です。

ソーシャルブックマークとかって、出現当初はそういうものだった気がするんですよ。 全員が全員情報を作ったり意識的に何かをするというのは非現実的で無理だと思いますが、全体の中の1%満たないとしても、強い問題意識を持った数人が少しずつ動くことで少しは何かが変わる可能性が上昇する気がします。

追記

様々な方々の気分を害してしまい申し訳ありませんでした。

多くの方々に「批判を一切やめるべき」という意味に読解させてしまいました。 私は、批判そのものをやめるべきとは思っていません。 この文章そのものも批判に対する批判ですし、批判が出来ない世界は不健全です。 具体的な記事に対して、具体的に批判するのは健全であり必要だと考えています。 文章表現の下手さによって、ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。

ただ、個人的にフォーカスしていたのは、漠然と「マスゴミは悪」と批判することに流されてしまう怖さです。 個別の酷いマスゴミ事例を見た時の自分の中に登場する「怒り」が何に向けてで、その怒りにまかせて行動して、例えばマスゴミが居なくなったらどうなるのかなどが念頭にありました。 ひどい記事と普通に読める記事の割合を考えると、面白くもつまらなくも無い通常記事等が大部分であり、ひどい記事というのは割合が少ないと感じています。 マスコミが消えるという事は、通常記事も消えるという事だと思うのですが、広く情報発信を行う代替組織が生まれていない現状では、それはちょっと怖いと感じているという背景もありました。

世界の全員が賢くなれば世界は良くなるというようにも読み取れてしまう文章になってしまっていますが、個人的にはそのような非現実的なことは無理だと考えています。 情報を作って発信する人と、それを受け取る側では発信する側は圧倒的に少数派だと思うのですが、その少数のなかで何かを褒めるという行動に出る人が増えると、少しだけ褒められる人も増えるという思想です。

疑問形で文章を書いてしまったことで、暗に賛同を強制する文体になっていて、それが余計に反感を煽るというご指摘も頂きました。 文章の書き方に関しての修行の足りなさを反省するとともに、この分野の問題に関しての勉強の足りなさを実感した次第です。 気分を害された皆様、申し訳ございませんでした。

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