悲痛な叫びを見ると無力感が漂う

2008/9/30-1

ブログ、twitter、ソーシャルブックマーク、Q&Aなどで悲痛な叫びを見ることがある。 知り合いによるものだったり、会った事が無い知らない人のものだったりする。 知らないけど名前はオンラインで見ていて勝手な親近感をこっちが持っている人だったり、たまに見るだけのアカウントだったり、たまたま目に入った文章だったりする。

知り合いで非常に交流が深い相手であれば「今度飲みにでも行こうよ」と言える。 ただ、そうではない多くの場合は自分の出る幕ではない。 声をかけても負担にしかならないだろうし、そもそも何と声をかけて良いのかもわからない。

知り合いではなく、オンライン上で特に交流が無いけど見ているだけの相手であればなおさら何もできない。 知らない相手から励まされてもわけがわからないだろうし、迷惑なだけだろう。 いきなり何かを言われると怖いとも思う。 そもそも中途半端で無責任な結果にしかならないし、自分自身が生きていく道を模索している最中であって自分の事で手一杯になっている。 無責任なコミットは不幸しか呼ばないだろう。

そして、結局何もしない。 単に苦しそうに垂れ流される愚痴を見るだけになる。 非常な無力感におそわれる。 結局自分は傍観者でしかない。 何もしないのが正しいだろうという結論にしかならない自分がいる。

恐らく苦しい思いをしている人数は昔から変わらないのだろうと思う。 昔なら誰も気がつかずに放置されていた事例が、ITというツールのおかげで表面化しているだけだろうと思う。 ただ、結局何もできずに傍観するという選択をするという点は昔から変わらないのかも知れない。

悲痛な叫びを見ると無力感が漂ってしまう事がある今日この頃です。

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