コメント欄を承認制にする効果
「極東ブログ: もうコメント欄を承認制にしますよ。みなさんもそうしたほうがいいですよ。」という記事がありました。 日本で最大級の読者数を誇る著名ブロガーであるfinalventさんの書かれているブログに掲載された記事であったため、一部ネット界隈において非常に注目されています。 今回、これを読んでコメント欄を承認制に変更するかどうかを悩み始めました。 現状では非承認で問題ないのですが、このままで良いのかどうかに関しては難しいと感じています。
承認制の利点
以下、コメント欄を承認制にする利点(効果)を考えてみました。
削除よりも印象が良いかも知れない
特定の内容を「削除」した場合、削除された方はカチンと来るかも知れません。 承認されないだけであれば、カチンとは来ると思いますが、怒りレベルは「削除」よりは低いかも知れません。 (人によって受け取り方は違うと思うので一般的にどうかは良くわかりませんが。。。)
また、他の読者に対して「削除」という行為と削除した内容が丸見えになることにもなります。 「削除」するかしないかが微妙な内容である場合、その判断を行った事が可視化されていると、その行為自体に疑問や反感を覚える人が発生するかも知れません。
場の雰囲気を調整できるようになる
コメント欄の書き込みは、ある種の雰囲気を作り上げます。 自分が好きだと思った内容であっても、ネガティブなコメントばかりが書いてあると「自分は正しいのだろうか?」と悩み始めるかも知れません。
また、変に茶化すようなコメントが並んでいると「これぐらいはやってもいいかな?」という気分になりがちです。 割れ窓理論(Broken Windows Theory)的なものですね。
コメントがオープンになるタイミングを調整できるようになる
ブログの記事には旬の時期というものがあります。 一度読んだ記事を二度読む人はあまり多くありません。 (ただし、資料として価値があるものなどは除く。)
コメント欄に対して反映する時間をずらす事によって、事実上あまり多くの人の目に触れないようにすることも可能です。
例えば、特定のWebサービスで「注目の記事」コーナーに掲載されている時期もあるかも知れません。 また、特定のジャンルのサイトから紹介されて、それが注目されている間は反映しないということも可能です。
炎上を抑止できる場合がある
これらの方法で、全ての状況に対処できるわけではありませんが、炎上発生を抑制する効果がある場合もあります。
コメント欄が荒れた始めた事に端を発する炎上はあります。 「ここが荒れてるよ」と人が人に伝えていくことによって、多くの人が集まります。 コメント欄を承認制にすることによって、「荒れている」「祭りだ!」という雰囲気を抑制する効果があると思われます。
他人が利益を追求する場にならなくなる
他人が自分の宣伝をするためだけにコメント欄に書き込むという行為を抑制できます。 「自由書き込み⇒削除」では、気がつくまでの間に何人かの読者の目に宣伝が届いてしまう可能性があります。 (読者数が多かったり、たまたま大手サイトから注目された記事でなければ発生しないとは思います。ロボットスパムシャットアウトにもなります。)
他人が思想を啓蒙する場にならなくなる
記事本文とは関係が希薄な特定の思想を広める行為を抑制することが可能になります。 例えば、記事本体は単なる日記なのに、コメント欄に書いてあるの文章が途中から「そういえば」と始まり、その人が興味のある問題等を延々と語るという行為を抑制することが可能になります。
悪いコメントを書く人が減る可能性がある
ネガティブコメントを書き込む心理として、ネガティブな文章をそこに書き込んで他の読者を感化したいという感情もあり得ます。 そのような目的を持って書き込んでいる人は、自分のネガティブな発想を他人に知ってもらいたいと考えているかも知れません。 公開される算段が少なければ、そもそも書き込まずブログ運営者に届く事も無い、という流れもあり得るかも知れません。
欠点
コメント欄を承認制にする事にデメリットもあり得ます。
- コメントを書く気を減衰させる
- 良いコメントしか掲載していないと疑われる
- 情報統制を疑われる(上の項目とほぼ同じです)
- オープンな雰囲気が減少する
- 悪いコメントは結局は目にする
- 細かく見ていくのが面倒
- 承認という手間をかけるのが面倒
- コメントを早く承認しないと後ろめたい気分なる可能性がある
- コメント欄承認というプレッシャーが新たに発生する
その他の場所に書かれるコメントは?
はてなブックマークのネガティブコメントや他のブログでの言及など、コメント欄を承認制にしても防げない点は存在します。 それはそれで問題(?)としてあるかも知れませんが、全てを同時に防ぐ手段というのはそもそも存在しない可能性もあり、コメント欄とその他は別種の議題だと感じています。 銀の弾丸が存在しない議題というものも多いのではないでしょうか。
コメントが他人の目にさらされる量を考えると、恐らく以下のようになると思われます。
コメント欄への書き込み > はてブコメント
はてなブックマークのコメントを見る人はある程度のヘビーユーザです。 ブログによっては、はてなの存在を知らない読者が多数派である場合もあります。
コメント欄が荒れる状況が発生するのは偶然の産物
コメント欄が荒れる、いわゆる「炎上」が発生するには複数の要因が重なるという「偶然」が必要です。
まず、本文が誰かの気分を害する内容である必要があります。 (ブログを本人が何らかの事件を起こしたり、巻き込まれたり、報道されるという原因もあり得ます。)
次に、その内容が不快に思う人々に届く必要があります。 一般的に不快と思われる内容も存在しますが、特定のジャンルの人だけが不快に思う内容もあります。 自分のまわりのコミュニティで非常に好評であった内容であっても、それを不快と思う他コミュニティが存在する場合もあります。
この「届く」というフェーズが発生するかどうかは、かなり「偶然」の産物と言えるのではないかと最近は感じています。 特定の大手サイトに紹介されたりという事例が一般的ですが、マスコミでサイトが紹介された事がキッカケになる場合もあります。
さらに、強く不快に思う人が多く集う必要があります。 不快には思うけど結局は「どうでもいい」と多くの人が言う場合、荒れる状況は発生しません。 「書き込む」などの行動を起こすほどの衝動がなければなりません。
これらの事象がほぼ同時に短い時間の中で集中して発生しなければなりません。 この「同時」というのが記事公開からかなり時間を経過した時になる場合があることからも、「偶然」の重なりというものを認識できます。
その「偶然」が発生するのが「必然」であるほど内容がひどいこともありますが、そのひどい内容を「偶然」誰かが発見しなければ、多くの人が集まる事はありません。 なお、読者数が多くなればなるほど、この「偶然」が重なる可能性は高くなる気がします。
最後に
コメント欄をどのように運営するかに関しての一般解は恐らく存在しません。 例えば、読者数などによっても全く違ってくるでしょう。 状況に応じてメリットとデメリットを天秤にかけて、各自が選択をしていく必要があると思われます。
重要なのは、メリットとデメリットが十分議論され、多くの人が判断するための材料が揃っていることではないかと思った今日この頃でした。
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