会社を辞めてからの1年間

2008/12/26-1

2007年末に会社を辞めた身としては、2008年1年間は「会社を辞めてからの1年間」でした。 年末ということもあり、この1年を振り返ってみたいと思います。 最初の一つは2008年ではなく2007年末ですが、そこらへんはご容赦頂ければ幸いです。

何か書いていたら凄く長くなってしまいました。 まあ、1年のまとめということで。。。

Sony退職、中の人公開

2007年12月27日 : 退職報告及び自己紹介

退職して新たな道を歩んでみようと思い、自分だ誰であるかをブログ上で公開しました。 知人も何人か読者だったようで「コーヒー吹いた」などのご連絡を頂けました。

自分が誰であるかの公表は、私にとっては「これからブログをメインにして活動するぞ」という覚悟の表明のつもりでした。 あの瞬間から、本当の意味での私の独立が開始したのだと思います。

AMNパートナーブログ

1月末にAMNパートナーブログとしてAMNに参加できたのが、2008年最初の大きな変化だったのかも知れません。

AMNに参加することによって、様々なブロガーの方々にお会いすることができました。 例えば、他のAMNパートナーブロガーの方々や、ブログイベントでお会いした方々などです。

ブロガー勉強会での発表も行いました。 正体を隠しながら如何に書くかというテーマでの発表でした。 公表するまで(恐らく)誰一人として気がつかなかったという経験を元に、何に気をつけて書いたかを発表しました。

大学研究員になる

大学の研究員になったのも大きな変化でした。

研究員になるという話は、突然降ってきました。 家でブログを書いていたところ、研究室の後輩から携帯に電話がかかってきました。

後輩曰く「あきみちさん、仕事は今何やってるんですか?」
私「プーだよ」
後輩「それは良かった」
私「あははは」
後輩「研究プロジェクトが開始するんですが研究員が足りないんですよ」
私「ブロガーをやるために会社を辞めたという経緯もあるため、フルタイムじゃなくても良いのなら是非お願いします」

という感じで、慶應義塾大学SFC研究所上席所員になりました。 現在は村井研究室にいます。

5年間離れた後に研究室に戻るとメンバーも雰囲気も非常に変化している驚きますし戸惑います。 逆に新鮮でもありました。

自分にとっては学校に行くという事が非常に良い刺激になっていると同時にブログを書くうえでの視点が増えたという利点もあります。 声をかけてくれた先生と後輩には非常に感謝しております。

あと、余談ですが、これによって却下されたクレジットカード作成がOKになるかも知れません。 いや、まだ試していませんが。 フリーになるとクレジットカードが作れないというのを実感しました。 退職される方はご注意下さい。 特に社員用クレジットカードを使っていて「退職するとコレなくなるじゃん!」という方は退職前に新しいカードを作りましょう(笑)。

Yahoo!ニュース

AMN経由の紹介でYahoo!ニュースのブログ/意見コーナーに記事が転載されるようになりました。 個人的には、これもブログを執筆するうえで大きな変化だった気がします。

植山周志さん

BMXチャンピオンの植山周志さんのブログの手伝いをするという活動を始めました。 本人がコンテンツであるような人から、ブログの記事を「引き出す」という活動をIM(メッセンジャー)などを駆使しながら続けました。

11月末には周志さんのブログがAMNパートナーブログになりました。 記事執筆ノウハウや記事ブレストなどのコンサルティングを行って周志さんのブログのPVを増やし、AMNに参加までを実現したのは個人的に成果だと感じています。

Twitter/オフ会

今年中旬から開始したTwitterが大きなコミュニケーション手段になりつつあります。 Twitterからオフ会へと展開し、さらに新しい方々との出会いや、イベントなどのリアルで初顔合わせの時に「あ、Twitterのアカウントは知ってます」と私が相手の方を認識できて話が弾む状況ができました。

例えば、「はてな3大女性アイドル」を書いた時に顔出しをしたタケルンバさんともお会いする事ができ、最近はtwitterで下らない冗談を言い合っています。 個人的にはアイドル記事で印象深かったのは、お祭り状態になってしまってtakerunbaさん(はてなアイドルになってみた - タケルンバ卿日記)とy_arimさん(おれがはてなアイドルだ - E.L.H. Electric Lover Hinagiku)が顔出しカミングアウトという流れになったことです。

来年は今年よりも外に出て様々な方々にお会いしたいと考えています。

顔写真公開

今年9月に顔写真を公開しました。 それまでは公開していなかったのですが、イベントやオフ会などに行くようになったこともあり「もういいや」と思ったことと、自分への覚悟のつもりで公開してみました。

剣道

私は全日本剣道連盟で11年間、情報委員をやっています。 過去、kendo.or.jpというドメイン名を取得したり、事務局内のIT化などに対する助言や手伝いをやってきました。 最近はWeb系の話が多くなっていたのですが、今年は剣道という世界の中で今までになく成果が出せたと考えています。

月刊剣道時代ブログパーツ

まず最初が剣道ブログパーツです。 一緒にやっている阿部晶人君(SFC同期)が企画して剣道時代さんと一緒に作ったのですが、それを「弱気なブログを剣道で撃破」という記事を書いたところ、はてブの注目のエントリ入りし、それを百式の田口さんが発見して記事(月刊剣道時代のブログパーツが秀逸すぎる件)にして頂けました。 IDEA*IDEAで掲載して頂けたのを見て私と阿部君は驚喜しました。 (私のブログ記事の方が剣道ブログパーツURLよりも先にブックマークされた関係で、はてブの「このエントリーを含むエントリー」に表示されていません)

ブログパーツ公開後2ヶ月ぐらい経過した後でのブレイクだったのですが「良いものを作る事」と「それを広報して伝えること」は別の要素であると思い知らされました。

YouTubeと全日本選手権

剣道の世界では全日本剣道選手権大会は毎年最大のイベントです。 そのイベントのために特設サイトを作成したり、全日本剣道連盟YouTubeチャンネルを開設したりすることを提案し、行いました。

剣道というと非常に古いイメージがあり、剣道連盟がYouTubeでチャンネルを開設するという事は話題性があるだろうと思い、プレスリリースも行ってみました。 その結果、ブロガーの方々やオンラインメディアに記事として採用して頂けました。 さらに、全日本剣道選手権大会特設サイトのデザイン性がWeb業界にて評価して頂けたのではないかと思います。

全日本剣道連盟では、今までプレスリリースを行った事がなく、私が「どうやってやるのか」を調べたり原案となる文章を書いたりしました。 そもそもプレスリリースをするという行為の承認を頂くところから始めました。

おまけ

いや、でも今年の剣道に関しての成果は、一緒に情報委員を11年やっている阿部君の企画力が凄くなったところが大きい気がしています。。。 彼と話していると広告と企画とクリエイティブに関してのプロ意識を非常に感じます。 私はどちらかというと会議運営や広報などの補助的な役割が多かったのかも知れません。

なお、余談ですが生まれが阿部君よりも遅い私は全剣連の専門委員の中で最年少という記録を11年間保持し続けています(笑)。

観賞魚関連

今年一年は、観賞魚関連活動も色々やりました。

レア金魚販売実験

まず、今年初めに金魚のネット販売実験を行いました。 問屋に眠っている金魚の存在を一般顧客へと知らせるという試みです。 ペットや観賞魚は死んでしまうことがあります。 そのため、ペットショップは魚を仕入れてしまうとその個体が死ぬまでに売り切らなければなりません。 そのリスクがあるため、珍しいけど高価で販売できるかどうかが定かではない魚は敬遠されて問屋に在庫として残り続けてしまいます。 そして、問屋にある魚は一般顧客から存在が知られないために売れないという悪循環で終わってしまう事もあります。

このような問題に対処するために、魚の写真を撮影して、ショップが写真だけでネット販売することが出来るような体制を問屋で作ってみました。 考え方はアフィリエイトと同じですが、魚という生体に対して問屋がそれを行ったのは史上初だと思います。 1年間での実績は数匹とあまり成果は出ませんでしたが、非常に珍しい金魚の画像を撮影して世に出す事は出来たと思います。 今後は、取り扱いショップなどを増やしてどうなるかなどを実験的に行えれば実績が出せるのではないかと考えています。

プレコ/ディスカス/金魚

プレコに関してのサイトである「プレコ王国」と、ディスカスを扱った「ディスカス魂」はそれぞれの魚種を扱うマニア世界ではある程度知られたサイトになれたと考えています。 また、金魚のサイトである「金魚タイムズ」も制作/公開しました。

中でもプレコ王国は月間10万PVぐらいになれました。 南米の苔を食べるナマズという1種類の魚を扱ったサイトというマニアックさを考えると結構成果を出せたと考えています。

一眼レフカメラ

あと、熱帯魚の撮影にハマりました。 マクロレンズやスレーブとして使えるフラッシュを購入して色々撮影しています。

おまけ

1年間の検索キーワード合計を見ると何故かGoogle Analyticsで見たときの検索キーワード9位が「レッドビーシュリンプ」です。 レッドビーシュリンプがテレビで紹介されて、そのキーワードで上位に来ているブログ記事に人が来ているのだろうと思います。

病気

最近、難治な病気に自分がかかっていると気がついてしまいました。 命に影響はなさそうですが、今後徐々に進行していくのではないかと思います。

見た目でわかる病気なので公表してしまうことにしました。

取材

今年、「ブロガーです」と言って取材に行くという事を何度か行いました。 企業に直接取材に行くと「ブロガー個人が取材に来るのは弊社としては初めてです」と言われました。 また、Interopというイベントでは史上初ブロガーとしてプレス登録をしました(Interop2008でのブログプレスは私だけでした)。 AMNイベント経由でCEATECの取材も行きました。

はてなブックマークのリニューアル記者会見へも参加させて頂けました。 一般メディア(あの時は主にオンラインメディア)の方々と同席させて頂いた記者会見は独特の雰囲気がありました。

企業への取材では、取材に行って原稿を書き、それを先方に確認して頂いたうえで修正し、最終的に双方が合意するまで原稿を練りました。 他社との関連や協調体制、取材に答えて頂いた方のぶっちゃけたトークと広報室としての見解の相違、私の勘違いなどが文章に含まれる事が珍しくないため、先方による確認作業は重要でした。 折角時間を頂いたのに迷惑をかけたくなかったという考えもあります。 そのため、長いところでは取材後3週間経ってから初めて掲載できたというものもあります。 ただし、これは好意的な文章を書く事を前提に取材しているためできるのだと思います。 批判記事を書く際には使えない手法だろうと思います。

これまでは自発的な取材は、報酬を頂かずに取材をしていました。 一方で、報酬を受け取る取材も何度かやりました(報酬を受け取る取材記事では「報酬を受け取っています」と明記しています)。

可能な限り自分の興味がある議題や企業への取材を無料で行こうと考える反面、 生活の事を考えると今後は報酬を受け取る取材を自分で営業して取得できるという技能も必要になってくるのだろうと思います。 また、そのような活動を積極的に行ってノウハウを公開していけば他の方が「ブロガー」という職業で生計を立てるという道へのサンプルになれるのではないかと考えています。 読者側からの報酬を受け取った文章そのものへの嫌悪感というものも存在していますが、何をどのように書いたらどのような反応があるか、どこまでなら受け入れられるかなどの実験台になれれば良いのかも知れないと感じています。 報酬を受け取ったとしても単なる宣伝にならずに読者の方々に有用な情報を伝えるにはどうすれば良いのか?などの課題がありそうです。

最近、「前例」というものがあるか無いかの大きな違いを実感する事が多いです。

原稿執筆

今年、雑誌記事の執筆も行いました。 ブログを書いていたら「雑誌記事を書いてください」と技術評論社の方からご連絡を頂きました。

ブログで公開し続ける事で新しい道が開ける事を経験できたとともに、「文章を印刷用に書く」という事の大変さを知りました。 SoftwareDesignの2009年2月号(1月発売)にも私の記事が掲載される予定です。

総括

この1年は私にとって非常に変化が多い年でした。 人生で最も多く色々な事が発生した1年なのかも知れません。

一つの大きな目標や一貫した何かがあって、1年間を通してそれに向かっていたというわけではありません。 その場その場で思いついた行動を取っていたというのが正直なところです。

何か一つ継続的なものがあったとすれば、それは自分の中での「覚悟」なんだろうと思います。 「覚悟」というのが徐々に出来上がっていくものだと実感をする1年でした。 最初のうちは職業を「ブロガー」と言う事が出来ませんでした。 名刺にも書いていませんでした。 しかし、今では名刺に「ブロガー」と書いてありますし、自己紹介でも言うようになりました。 細かい話ではありますが、自分にとっては「覚悟」が時間をかけて出来上がっていくという大切な課程だったと思います。

また、「まだ誰もやった事が無い」もしくは「あまりやってる人はいない」ような事をいくつか出来たと考えています。 その結果わかったことや、そのような行動を取った事、どのような経緯でそれを実現したかなどを可能な範囲内で公開したつもりです。 また、今後も可能な限り公開して行く予定です。

私の人生の目標は「今の自分は過去の自分よりも成長できた」と言える事です。 今年1年は自分にとって初めての経験の多い1年でした。 そのため、その発言を自信を持って行えます。

来年の抱負

来年は何をするのか実は自分でもわかっていません。

来年1年の目標としては、やれることは色々やってみて、多くの方々にお会いして、思いついたことは文章として書いてみて、未踏な分野では他の方々の参考になるようなモルモットになれればと考えています。 その結果何か得られるものがあれば良いかなぁという感じです。

Sony時代と比較して収入は激減しています。 2年間は大学院に入りなおしたのと同じだと思って収入度外視で色々と手を出してみようと考えていたので、それはそれでいいのですが、 個人的には今のようなフラフラした生活はあと1年ぐらいが限界なのではないかと感じています。 1年のうちに生活できるような基盤を作れるか作れないかですね。 (来年末には就職活動をしてるという可能性もあります)

来年1年も私にとっては色々と変化の多い1年になりそうです。 本年は大変お世話になりました。 2009年も、どうぞよろしくお願いいたします!

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