Tier1 ISPは秘密結社か?
NIKKEI NET IT+PLUSに「払ったりもらったり、力で決まるISPの接続料 インターネットのお値段(2)」という記事が掲載されていました。 基本的には書いてある事は正しい気がするのですが、最後の部分が結構ひどいと思いました。
以下、引用です。
■ティア1は「秘密結社」
それなると、もらう一方のティア1は大もうけですね。
「そうですね(笑)。ティア1のISPはティア1同士で接続しており、世界の主要なISPへとつながっています。NTTコム傘下の米ベリオなどが知られていますが、実は事業者のすべての名前が明らかになってはいないなど、ベールに包まれた『秘密結社』なのです」
オープンと考えていたインターネットの中核が秘密結社というのは驚きです。
「これにはインターネットの成り立ちが関係しています。始めは限られた人たちが相互に助け合う精神でスタートしたのですが、有料ISPが登場し利用者が増えたことで、回線の整備にお金がかかるようになったのです。ただ、先進国では会員数が昔のように伸びず定額制が広がった今でも、動画配信などインターネットのデータのやり取りは増え続けています。規模の小さい2次ISPなどは、回線料や接続料の負担が重くなる一方です。今後は再編が避けられないでしょう」
これはちょっと不公平な気がする。インターネットの出現が「世界のフラット化」に一役買ったなどと言われているのに、実はインターネットそのものがフラットではなく階級社会だったとは。同じような問題はほかにもないのか。次回はインターネットの内部に存在する不均衡をさらに探っていこう。
Tier1のISPを秘密結社と書いてしまっています。 私は「秘密結社」という単語を見ると、談合しながら他者を排除しつつ、自分達の存在を隠すように努力する集団というイメージを持ってしまいます。 NIKKEI NETの、この記事だけを読むと「Tier1と呼ばれる大規模ISPは利権を持っている暗黒組織」と読めてしまうかも知れません。 一般的に「秘密結社」という単語がどのように認識されているのかは良くわかりませんが、少なくとも私には「Tier1のISPは悪。暴利をむさぼっている」と締めくくられた記事であるように感じました。
インターネット料金が高いのはTier1や地域網のせい?
Tier1を「秘密結社」と呼んでいる記事はシリーズ第2部のようです。 第1部(ISPへの支払いは何に使われる? インターネットのお値段(1))では、ISP料金の内訳という図が掲載されています。 そこでは、エンドユーザにインターネット接続性を提供しているISPによる料金は、全体の19%であると記載されています。
料金の大部分が地域回線事業者に対して支払われる「ネットワーク維持コスト」とされています。 そして、そのネットワーク維持コストには他のISPと接続してもらうためのトランジット料金がかかるとしています。
以下、「払ったりもらったり、力で決まるISPの接続料 インターネットのお値段(2)」からの引用です。
「もう一つの接続料とは、ISPとISPが直接接続する際に発生する料金です。ISP同士がつながる場合、お互いをつなぐ回線料などを折半するピアリングというやり方と、一方が相手のISPに料金を払うトランジットというやり方があります。これは相対取引で決まります。回線料と接続料の具体的な金額はいえませんが、ISPのコストのうちかなりを占めています」
これを見ると「各家庭のISP接続料はTier1 ISPに取られている事になる」というようなイメージを持ててしまいます。 料金におけるコストの内訳を見ると確かにそのように見えるかも知れません。 しかし、実際には地域網やTier1 ISPのせいでインターネット接続料が高いわけではありません。 むしろ逆で、不当に安すぎるのだと思います。
個人的な感想としては、各家庭にサービスを提供しているISP部分が内訳で小さいのはYahoo!BBの出現が影響していると考えています。 Yahoo!BB出現前は、各社が競争をしつつも利益を出せるような料金設定にしていたと思われます。 しかし、Yahoo!BBの出現とともに「価格競争」が加速し、各ISPが利益を圧縮してでも料金を下げるようになりました。
ただし、NIKKEI NETで記事に書かれている内訳はユーザに直接サービスを提供しているISPという視点からの内訳なっているのでご注意下さい。 個人的な感想では、Tier1 であろうが、地域網会社であろうが、ISPであろうがみんな設備ありきの会社なので、どこも薄利でサービス提供してるという意味では一緒じゃないのかと予想しています。 地域網を張り巡らして、古くなったところを直したりしながら整備するのってかなりお金がかかるイメージがあります。
ということで、個人的にはNIKKEI NETにて書かれている内訳は、エンドユーザにサービスを提供しているISPが「うちは仕入れ値に対して19%しか上乗せをしていない」と言っているに過ぎないように見えます。 八百屋に例えると「うちのニンジンは81円で仕入れて100円で売っている。値段の大部分は農家に支払われているんだ!」と言っているようなものでしょうか。
結局は力関係
Tier1かTier2かというのは、結果的な話のような気がします。 各ISPは、自分がTier1かTier2かという話ではなく、個別の回線契約時に「どちらの方が強いか」に関してどのように交渉できるかなのではないでしょうか。 個別の相手に対して「繋いで欲しいの?じゃあいくらくれる?」と言えるか、「是非繋がせて下さい。費用は負担します。」と言うかの違いではないでしょうか。
力関係で様々な事柄が決まるのは、インターネットの世界だけではないと思われます。 著作権等に関しても、例えばあるオンライン媒体で映像を流す時に「このアニメのプロモーションのために映像を流してください。経費は全て支払います。」と「このアニメのプロモーションビデオを流したいならば無料で流させてあげますよ」と「このアニメに関連するもの流したいの?いくらくれる?」というようなパターンがあります。 どのパターンにいきつくかは、オンライン媒体の講読者数(もしくはそこでのアテンション)と対象となるアニメ作品の知名度との力関係ではないでしょうか。
本質は恐らくTier1であるか無いかではありません。 たとえば、中国のISPは相手がTier1でもpeerに金を払えって言って来るという話は良く聞きます。
より有利な契約条件を勝ち取ろうとするのは営利団体としては当たり前の行為であって、「インターネットだからそれがけしからん」「不公平だ」というのは変だと思います。
そもそも「公平」って何でしょうか? もし仮に、「相互に接続する回線費等は一方的なものであってはならない」という規定があったとします。 その時、規模が大きく価値がある側からすれば「こっちの価値の方が大きいのに同等の扱いをされる事が不公平である」という考えになるのではないでしょうか?
「公平(fairness)」というものは、視点によって定義が変わるものであり一概には言えない事も多いです。 インターネットという通信形態においては、何がどうfairであるかに関して議論している論文も色々あります。 例えば、TCP周辺はその最たるもので「fairnessの定義とはこのようなものである」という話を足がかりにして論じている論文が色々あります。
トラフィック量の問題
「どちらの方が規模が大きいか」という「力関係」で表現されますが、実質はもっと合理的な話だと思います。
確かに「規模が大きいかどうか」の話ではありますが、「規模が大きい」というのは「与えるトラフィックが多い」という話です。 言い換えると、相手に対してパケットをどれだけ転送してあげるかの割合の問題です。 自分のAS(Autonomous System)が相手に転送してあげるパケットの量が、相手が転送してくれるパケットの量と同等であれば双方とも互いに「公平だ」と思って無償接続を続けます。
一方で、特定の相手に対してパケットを転送してあげるばかりで相手から来るパケットが少ない場合、「サービスを提供してあげているのだからお金払ってよ」という話になります。 結局はパケットを転送してあげるかあげないかをバーターできるかできないかの世界なのではないでしょうか。
EGP
「転送するトラフィック量」という話が意味不明に思える方のためにちょっと捕捉です。
インターネットはルータがバケツリレーのようにパケットを転送することによって成り立っていますが、そのバケツリレーにも大きく分けて2種類のものがあります。 組織内で経路を把握するIGP(Interior Gateway Protocol)と、組織間の経路を把握するEGP(Exterior Gateway Protocol)です。 このときの「組織」はAS(Autonomous System)と呼ばれる単位毎に分けられています。 かなり乱暴な表現ではありますが、とりあえず「ASとはISPだ」ぐらいに思ってください。
このように2段階に分かれているのには理由があります。 インターネットには無数の機器が接続されたおり、全ての宛先を把握するのは現実的ではありません。 そのため、AS内レベルで「こっち」というのと、AS間レベルで「あっち」というのを知る方法が分けられています。
代表的なIGPとしてはRIPやOSPFやIS-ISなどが挙げられます。 代表的なEGPとしてはBGPが挙げられます。
今回のISP間接続で問題になっているのはBGP(Border Gateway Protocol)というEGPを扱う時に発生する話です。 BGPはパスベクター(Path Vector)型プロトコルと呼ばれています。 どのようなASを経由するかに関してのパス(Path)を規定していきます。 今回の話題で言い換えると「どのISPを経由して通信をするかを決めていく」ためのプロトコルです。
EGPが必要になるのは、インターネットは広大であるためです。 全てのASが全てのAS同士で直接接続可能であれば、EGPは必要ありません。 しかし、それが現実的ではないため「他の人にパケットを転送してもらう」という行為が必要になります。
このとき「転送してあげる」側からすれば「自分とは全く関係がないパケットを転送する」という話になります。 営利団体が何の根拠もなしに「自分とは関係がないパケットを転送する」という行為を取ることはありません。 「自分とは関係がないパケットを転送してあげる代わりに、私のも転送してね」という話になるのですが、この「転送」の程度によってお金をもらうかもらわないかが変わっていくという話です。
「オープンと考えていたインターネット」
NIKKEI NETの記事には、以下のような一文があります。
オープンと考えていたインターネットの中核が秘密結社というのは驚きです。
ISPは営利目的で活動しています。 自社の利益を守るように行動するのは当たり前ではないでしょうか。
また、オープンに関しても誤解があると思います。 オープンなのは「プロトコル」です。 運用に費用が発生する「回線」や「接続性」がオープンというのではありません。 費用を負担ながら万人に対して無償で接続性を提供する営利ISPは、あまり現実的とは思えません。
なお、ここで「何だオープンなのはプロトコルだけなのか?」と思わないようにしましょう。 プロトコルがオープンである事実は非常に重要です。
世界は、オープンではないプロトコルやフォーマットで溢れています。 何か良くわからないけど通信をしている機器は色々あります。 通信形態がよくわからない機器と相互接続できるものを、全くの第三者が作るのは困難です。
プロトコルではなく、フォーマットにも目を向けるともっと色々あります。 日々接している映像や音声のフォーマットは、そのようなもので溢れています。 例えば、自社フォーマットしか再生できないような映像/音声プレイヤがあったりします。 オープンではないものは、DRM関連とは限りません。 例えば、良くあるビデオカメラのテープの中に保存されている動画のフォーマットを知るにはコンソーシアムに法人として加入して資料を購入する必要がある場合もあります。 このような世界では、個人が趣味で簡単に知ることは出来ません。
世界中で様々な企業がインターネット関連製品を作れるのは、通信プロトコルがRFCという形で「公開」されているからです。 誰でも無料で通信プロトコルを知ることが出来ます。 そして、その文書はコピーも出来ますし、再配布も可能です。
これによって、世界中の様々な企業が勝手にインターネット機器を作れるようになっています。 「インターネットに接続できる機器を作るために誰かにお伺いを立てなければならない」という話を聞いたことはないですよね? 当たり前のように聞こえるかもしれませんが、これこそがインターネットが「オープン」であることではないでしょうか?
NIKKEI NETにて記述されているような「オープン」なのであれば、ISPがユーザから接続料金を徴収していること自体も「オープンさを阻害している」という意味に含まれてしまうのではないでしょうか。
そもそもTier1って何?
そもそもTier1って何でしょうか? もしかしたら、あまり厳密な定義はないのかも知れません。 「○○をクリアしたらTier1である」とか「××にTier1と認定された」という話を聞いたことがありません。
一般的には「どこからもトランジットをしてもらわずに、顧客に全インターネットアクセスを提供できればTier1」なんですかね?
そのため、米国内にしか設備がないのにTier1というところもある一方で、現在はTier2だけどもう少しでTier1というISPの方が規模が大きいこともあり得ます。
なお、自身がTier1だと宣伝しているようなISPはあんまり多く無い気がします。 大規模なISPは、自身がTier1であるかどうかはあまり意識してないような印象があります。
「秘密結社」なのか?
NIKKEI NETの記事では、「全てのTier1が知られていない」ということを理由に「秘密結社」という単語を利用していますが、「全てのTier1を知る」という前提がそもそも実現性が乏しい気がします。
まず、インターネットは世界全体に拡がっているネットワークです。 「全てのTier1を知る」というのは、全ての国にあるISPを把握しつつ、それら全てのISPのBGPピアリング設定を知りたいと言っているように聞こえます。 それは、非常に困難な作業だと思われます。
そもそも、ISPがピアリングしている相手を全部晒す事を好むとは思えません。 「ここと、ここと、ここに繋げば自分と同じ強さになるよ」と競合他社に教えるメリットがあるようには思えません。 鮮魚店に行って「仕入先全部教えろ!」と要求するようなものでしょうか。
倒産した大手ISP
上流ISPほどお金が貰えるというなら、あまり倒産はしないと思われます。 以下、Chapter 11を申請した大手ISPのリストです。
- Global Crossing <http://en.wikipedia.org/wiki/Global_Crossing>
- "in January, 2002, the company filed for Chapter 11 bankruptcy protection"
- MCI / WorldCom <http://en.wikipedia.org/wiki/MCI_WorldCom>
- "On July 21, 2002, WorldCom filed for Chapter 11 bankruptcy protection"
- Genuity <http://www.cbronline.com/news/genuity_files_chapter_11_after_level_3_242m_bailout_bid>
- "Genuity files Chapter 11 after Level 3 $242m bailout bid - 28 November 2002"
- PAINet <http://en.wikipedia.org/wiki/PSINet>
- "on June 1, 2001, that it had filed for Chapter 11 bankruptcy protection"
- XO Communications <http://en.wikipedia.org/wiki/XO_Communications>
- "XO Communications (XO.com) announced on Monday that it has filed a voluntary petition to reorganize under Chapter 11" - http://www.thewhir.com/marketwatch/xoc061702.cfm
これらに関しては、以下のような流れがありそうな気がしています。
- 建設計画をたてて、投資家から大量の資金を集める
- 建設してサービス開始
- 思ったほど需要が伸びない
- 投資回収できずに倒産
- 資産整理で叩き売りされる
- 叩き売りを買ったところが安価で提供
Tier2がTier1に出世するにはどうすればいいのか?
一部のTier2は出世したいようです。 すでに全世界網(北米、欧州、アジアにルータを置いてる)を整備していて 規模が十分大きいところは、そういう傾向があるように思います。 米国以外の大きなISPに多いような気がします。
このようなTier2 ISPが力を持つ方法として使われるのが、Tier1 ISPの買収です。 たとえば、NTT-Comが買収したVerioの例などがありますね。
また、一方でTier2がTier2を買収して規模が大きくなり、今までピアリングしていた相手に対して強気に出て「これからは回線費払え」と通告する場合もあり得ます。
そして、均衡を保っていた力関係が崩れて行って強者が出現するようになると、その強者がTier1として扱われるようになるのではないでしょうか。
Tier1同士のバトル
Tier1同士が接続料金の負担をめぐって争いになった事例もあります。
Level 3 CommunicationsとCogent Communicationsがピアリングを解消してしまった事例です。 Level 3側が「Congent側のトラフィックが増えてきたのでこれ以上無償転送できない。お金払って。」と契約変更を打診し、合意が得られなかったために発生しました。 これによって、双方ともに相手のネットワークと通信ができなくなるか、もしくは別ISPを迂回した低速接続しか出来ない状態になってしまいました。
CNETの記事によると、以下のような障害が報告されたそうです。
「一部の人に電子メールが送信できなくなっている」とSteeleは述べる。「自宅ではRoad Runnerのアクセスサービスを利用しているが、リモートからサーバを管理できなくなっていた」(Steele)
コンテンツをめぐるバトルも
NIKKEI NETに掲載されているシリーズ第3弾は、「力関係」に動画などのコンテンツも要素として加わっている話が掲載されています。
「動画の流行で「負け組」ISPが苦境に インターネットのお値段(3)」
NIKKEI NETにて掲載されているのは「YouTubeやGoogleの通信はISP側が負担している」という考え方ですが、これをISP同士のピアリングの話に戻すと「我々は○○というサービスを持っているから直接接続したければ回線費を払え」という主張もあり得るのではないかと思います。 例えば、「トラフィック量」を指標にして回線費の割合を決定しているような契約である場合、YouTubeのようにダウンストリームが非常に大きくなるサービスを内側に多く抱えている方が有利です。
そのうち、自分のISPから出て行くトラフィック増を狙って大手コンテンツを抱えるWebサイトに対して「タダで運用してあげるから是非我がISPへ」と言うような世界が来るんですかね? それとも、既にそうなってるんですかね?
最後に
色々と書いてしまいましたが、NIKKEI NETの元記事は良記事です。 「秘密結社」という煽り文句を除けば基本的に書いてあることはその通りに思えますし、非常にわかりやすくまとめてあります。 エンドユーザの視点から行けば、あのようになるような気がします。
ただ、物事にはそうなっている理由というものがあり、頭ごなしに「間違っている」「不公平だ」と罵ってもあまり建設的ではない場合も多いです。 そもそも、ISP業はあまり儲かる事業ではないと言われています。 あまり無理に叩いて衰退を早めるような事にならない事を願う今日この頃です。
あと、個人的にはどうせならTier1なISPにも取材に行って「Tier1側からの見解」というのも同時に載せたらよかったのではないかと感じました。
過去に実際に起きた「インターネットが壊れて復旧した」事件を端緒に、「粘り強いが壊れやすく、壊れやすいが粘り強い」という視点でインターネットの形を探るという本を書きました。 インターネットを構成する基礎技術TCP/IPを解説した書籍は非常に多くありましたが、そのTCP/IPを使ってインターネットがどのように運用構築されているのかに関しては、あまり知られていません。本書は「TCP/IPを知っていてもインターネットはわからない、一方でインターネットを知るにはTCP/IPの細かい話を全て知る必要もない」という思想で、教科書的にならずに、あくまで「読み物」として楽しんで頂けることを目標に書いています。 Tier 1やISPの収益構造に関しては8章で紹介しています。
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