共通の趣味を持つ仲間と話せる幸せ

2007/6/11

最近は、趣味について一緒に熱く語れる相手がいることは非常に幸せなのではないかと思い始めました。 コンピュータ系のことに熱中している間は、自分のまわりとも話が通じました。 コンピュータ系の話であれば、趣味としてはあまり興味の無い内容だとしても、あまり興味が無いだけで「知識として知っとこう」などの理由付けがしやすく、会話が続きます。 さらに、自分では興味がなくても、同じような趣味を持つ人を知り合いに持っている場合が多いので、一定の理解はあります。

しかし、これが全然違う分野の話しになってしまうと、急に会話が続かなくなります。 熱帯魚飼育を趣味として持つ人がまわりにいないので、話をしても「ふーん。そうなんだぁ。」という反応になり、徐々に「空気嫁」という雰囲気が出始めます。

私も逆の立場になると同様の事をしています。 私が全く興味を持っていないスポーツ種目の観戦や外国チームの話をされても意味不明です。 そう思うと、観賞魚飼育の話をしたときの反応は当然であると言えます。

「今はインターネットがあるから」という事は言えると思います。 しかし、全く見ず知らずの人の集合であるコミュニティに溶け込むのは大変です。 また、どのコミュニティが良いか探すのも大変です。 そこまで深く趣味の仲間に飢えているのでなければ、全く新しいコミュニティをインターネット上で探すことの敷居は非常に高いと感じています。

学生時代は部活動やサークルに入れば共通の話題が必ずありました。 しかし、学生が終わってしまうとお互いに非常に礼儀正しく振舞う代償として「プライベートはプライベートだから」という空気を感じる場合があります。 全てがそうとは言いませんが、仲間内で学生時代ほどの深い付き合いに遭遇する確率は劇的に減少すると思われます。

端的に言ってしまうと、現実世界で知り合いなっている人と趣味について手軽に熱く語りたいという感じです。 ただし、新しく趣味だけで検索して、発見した人を見て「この人、付き合っても大丈夫かな」と心の中で考える手間をかけるほど語りたいわけではない、というのが微妙なところです。 要は、既に同じような話題で盛り上がれる人がいると言う事自体が幸せであり、それに満たされている間はそれに気がつかないんだろうなぁとふと思った次第です。

そういう意味では、コンピュータ系の話題で盛り上がれる場を持っている私は既に幸せであるということも言えると思われます。 違う分野でも同時に求めている私が贅沢なだけな気もします。

以上、とりとめもない内容ですが朝食を食べながら思った事でした。

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