自炊って結構バランスいいかも(少なくとも現時点では)

2011/12/27-1

電子出版や自炊や紙に関して話題になっていますが、私個人としては「現時点の日本では自炊以外の選択肢が事実上ないんじゃないか?」という感想を持っていますし、「自炊は面倒だけど実は結構バランスがいい」とも考えています。

私は自分の本の電子書籍版を出していますし、ブログを英語化してAmazon Kindle Direct Publishingで出版してみたり、日本で発売された剣道雑誌の記事を英語に翻訳したうえで出版社と共同で電子書籍化して世界に向けて販売する実験を行ったりしています。

電子書籍は検索が行えたり場所を取らなかったりと便利です。 日本に居ながらにして世界中の電子書籍を欲しいと思った瞬間に入手可能であり、専門書を購入するために特定の書店にいかなくても済むという便利さもあります。 販売側から見ると、紙の書籍では実現し得ない販路(海外展開など)を実現できます。 著者から見ると、出版社を通さずに電子出版も可能です(ただし編集の重要性に目をつぶれば)。

しかし、ものごとにはメリットと同時にデメリットが存在することが多いです。 様々なデメリットや鶏卵的な問題によって電子出版が日本で進まず、結果として現時点では各ユーザが自炊をするという選択肢が最適となっているのだろうというのが私の感想です。

さらに、電子出版が普及せずに自炊で我慢するしかない現状は、後から見ると、「自炊は面倒だったけど実は便利だったなぁ」と思ってしまうかも知れないという感想も持っています。

一番最初に

ここ数日、自炊に関しての話題が増えているのは、作家7名が自炊代行業者を訴えるというニュースがネット上で大きく注目されたためです。

私的複製としての自炊と自炊代行の違いに対する認識や、今回の訴訟を起こした法的根拠に関してピンポイントに語ればいいのに、よくわからない感情論を記者発表会で発言しまくっているので、何ら共感できないというのが感想です。 一応、念のため。

「電子書籍が普及しないのは出版社や著者が悪い」について

今回の作家7名による記者会見で注目されたのは「売ってないから盗むのか!」なのではないかと思います。(参考:ITmediaの記事)

同氏は「この問題に関しては、個人的には電子書籍と全然関係がないと考えている。電子書籍についてはまったく別のところで議論するべき」とした上で、「電子書籍を出さないからこういうことが起こるのだという声に対してはこういいます」とし、一呼吸置いて強い口調で次のように述べた。
「売ってないから盗むのか! こんな言い分は通らない。私は電子書籍が普及しても、こうした違法スキャン業者はなくならないと個人的に思っている」(東野氏)

「電子出版が進まないから自炊せざるを得ない」という読者側からの意見は確かに根強いと思います。

しかし、現時点の状況において出版社に電子書籍の推進を強要するのは酷だと私は考えています。 「出版社」という単一の組織が日本国内の出版を独占的に扱っていて、そこが電子書籍に取り組まないために普及が進まないのであれば、「出版社が悪い」というのも納得できますが、日本には大小様々な出版社があり、それら全てをひとくくりにして「取り組んでない」と文句を言ってもはじまらない気がしています(実際は取り組んでいても皆が知らないだけというのも多いです)。

各出版社がバラバラに行動している状況であっても、ある程度電子書籍が売れるのであれば各社積極的に取り組むのだろうと思います。 しかし、とにかく売れないという話ばかり聞きます。

電子書籍は売れないだけではなく、値段を下げなければなりません。 確かに電子書籍は印刷コスト、物理的な配送コスト、倉庫での保管コストがかかりませんが、とにかく売れません。

本の価格を決めるときに、市場価格と売れるだろう部数が大きな意味を持ちます。 多く売れる本は安くできますし、売れない本は高くなります。 部数が出ない専門書が高いのはそのためです。

これを電子書籍にあてはめて考えると、たとえば、1冊3000円の技術書(紙)が2000部売れて、同じ内容で1冊2000円の電子書籍が20部だとします(ここに書いている数値はフィクションです)。 価格は小売価格であるため出版社に入る金額ではないのですが、電子書籍側の売り上げ全部が出版社(もしくは著者)に入ったとしても4万円にしかなりません(200部売れたとしても40万円)。 実際に売れた数から経費を引いて考えると、現時点では電子書籍の方が紙の本よりも数倍高くしないと元が取れないことが多いです。

現時点では、電子書籍版を出す理由は一部の読者が望むからという理由と、電子書籍推進に対する使命感と、電子書籍を出す行為そのものを宣伝に利用するためではないかというのが個人的な感想です。 ただ、電子書籍そのものが最近では特に珍しくもないので、最近は電子書籍を出すことによる宣伝効果はかなり薄れており、「Free」のような方法は効果が出ないと思われます。

こういった状況下で「出版社が電子書籍に積極的ではないのは悪だ」とか「出版社が紙媒体の既得権益を守りたいんだ」と言われても困るというのが現状なのだろうと思います。

電子データはフォーマット戦争になりがち

「出版社が悪い」に関連して語られるのが、フォーマットがバラバラだったり、途中で電子書籍の提供を辞めてしまう事業者がいるという問題です。 「この状況では電子書籍を買おうとは思えない」というものです。 確かに、その通りだと思います。

このようにフォーマットがバラバラなのは、各社が独自フォーマットを推進しようとしているためですが、そもそも論として電子書籍以前に、電子データはフォーマット戦争になりがちであるという根本的な原因があります。

フォーマット戦争が発生するのは、電子データを保存して再生するのにフォーマットが必要となるからです。 そのフォーマットを実現するために特定の特許が必要となる状況を作り出すことができれば、ライセンス料によって、そのフォーマットを作り出した組織に莫大な利益が入ります。

「GIF特許問題」であったり、Blu-ray vs HD-DVDなど、フォーマットと特許に関する話題は色々あります。 フォーマット以外に電子データをやり取りするプロトコル部分でも特許が関わることがあります。 デジタルの世界では、何かの「標準」を作ったり、「仕様」や「フォーマット」を作るというのは力と力の綱引きになりがちです(アナログでも標準仕様を作るという部分では同様ですが)。

電子書籍には、ライセンス料が必要ではなく様々な機器で読めるオープンな規格としてePubなどがありますが、電子書籍はDRMを含み互換性がないフォーマットで販売されがちです(DRMなしの販売ももちろん数多くあります)。 そして、互換性がないフォーマットは囲い込みのために利用されたりもします。

「じゃあ、MPEG LAみたいに特許プール作って標準作ればいいんじゃね?」という意見もありそうな気がしますが、電子書籍は動画圧縮ほど複雑な仕組みを必要としなかったり、特定の特許がなければ性能が出せないというわけでもなさそうなので、特許プールを作るよりも囲い込み競争が先立っているような気がしなくもないです。

このようなフォーマット競争は、出版社や著者の手が届かないところで展開されていることが多いのが現状です。 そうなると、出版社側は複数のフォーマットや販路用に電子書籍を用意しなければなりません。 日本では社員数人という規模の出版社も多く、そのような出版社が、ただでさえ売れない電子書籍を複数フォーマットで複数販路で用意する体力があるとは思えません。

「電子出版にはチャンスがある!」に関して

「電子出版にはチャンスがあるのに、それに挑戦しない出版社はバカだ」という意見も見ます。 電子出版に対する出版側の雰囲気は、以下の記事をご覧頂くと良いかも知れません。 ここにあるように、各出版社は、とりあえず調査したり実験的に販売をしてみたりしながら、どれだけ事業として成り立つのかを日々検討していますが、現時点では、まだ事業として成り立たないと判断しているものと思われます。

あと、「電子書籍大国アメリカ」の5章「電子書籍で70%のおいしい印税生活が実現するのか?」では、以下のように述べられています。

どこの出版社にも見向きもされず、電子書籍として自費出版したところ、飛ぶように売れて、最初は断られた出版社から紙の本で出す契約にこぎ着けた、自分で全て管理して、出版社を使わずに印税だけで何千ドルも稼いだ、などという話がニュースになって伝わってくるが、滅多に起こらないからこそニュースなのだ。
これは、いわば宝くじが当たるようなものなのだ。誰かが、どこかで大金を手にしているのは確かなのだが、冷静になって確率を計算してみると、とても当たりそうにないほど低い数字に愕然とする。
前述の主婦の本も、売れたといっても1冊2ドルに満たない値段がついており、紙の本の出版が決まってようやくスタート地点に立てた、という筋書きだ。実際にはほとんどの自費出版本は"外れクジ"となって、相変わらずインターネットのスラッシュ・パイルに埋もれ続けることになる。

ここら辺の話は、今年1月に「Amazon Kindle Storeで電子出版してみた」という記事を書きました。

繰り返しになりますが、様々な出版社や著者が電子出版に挑戦してはいるのですが、ほとんどの取り組みが赤字になってしまい、継続性がないのが現状だと思われます。

自炊ができることそのものが素晴らしい

上記理由などから、現時点の日本で「販売プラットフォーム非依存で、どの機器でも買ったり読めたりできる電子書籍」というものを実現するのが困難な状況です。 出版社があらゆるフォーマット用に複数同時発売すれば、ある程度は問題が緩和しますが、電子書籍が全く売れない現状では手間をかければかけるだけ大赤字になるだけです。

しかし、現時点では紙から電子化する自炊が可能です。 手間はかかりますが、フォーマット変換が可能であるということは実は素晴らしいことだというのが私の考えです。

自炊というアナログな方法ではなく、電子出版経由で最初から電子化された仕組みが普及することによって便利さが向上しますが、その「便利さ」というのは権利者であったり、流通を司る事業者だったり、国家にとっての「便利さ」にもなり得ます。 出版物が全てDRM化されたうえで電子化されたら、自炊と同様に読者が購入した書籍を自分の好みのフォーマットで保存するという行為は困難になるだろうと予想しています。 DRMなしで、かつ、オープンなフォーマットでの電子書籍販売が主流になれば、そのような状態は避けられるのでしょうが、海賊行為に対する防衛手法が年々高度になりつつある現在、DRMなしの共通フォーマットでの電子書籍販売がデファクトになるのは難しい気がしています(それが可能になるとすれば、ネット規制がガチガチになって海賊行為を行う余地がなくなったときかも知れません)。

電子化された書籍は、著者や出版社などの権利者が書籍購入者の所有をコントロールすることも可能です。 その方法としては、電子書籍リーダーに通信機能がついていて、購入者の手元にある書籍データを消すというものがあげられます。 2009年にAmazon Kindleの書籍が購入者の同意を経ずに削除されるという事例が既にあります(参考:The New York Times: Amazon Erases Orwell Books From Kindle )。

何も予告なしに消すのは流石に無茶苦茶なので頻発はしないかも知れませんが、たとえば最初から手元での所有期間が「1ヶ月契約」であると決めたり、国家が発禁としたものを中央から削除していくという利用方法があるかも知れません。

DRMと法律

DRMが施された電子書籍であっても、DRMを破れば読者が好みのフォーマットに変換して読むことが可能です。

しかし、DRMを破る行為そのものが違法となる場合もあります。 たとえば、米国のDMCA(Digital Millenium Copyright Act)では、アクセスコントロール機能を回避する行為そのものが違法とされます。

日本では、今月からコピーガード回避機能を持つソフトを配布することも違法となりました。 今後、世界中でDRMに関連する規制が強化されていくものと思われます。

数年前の記事ですが、DRMとコンテンツに関しての記事としてEFFの記事が面白いのでお勧めです。 主に音楽コンテンツに関する話ですが、「音楽を購入したとしても、その音楽コンテンツをあなたは所有していない」とか「結局何度もお金を払わされ続ける」とか「利用可能なデバイスが制限される」といった電子書籍でも起こりうる話が色々と語られています。

囲い込みの道具としての電子書籍

インターネットは寡占化を推進する装置として働きやすいという感想を私は持っています。 基本的に「The rich gets richer」となりがちで、しかも特定の国内だけではなく、世界的な寡占状態を作っている場合もあります。

電子出版プラットフォームの寡占化が進むと、特定の事業者が電子書籍の販売と決済と流通の大半を扱うようになるかも知れません。

寡占状態を達成できた事業者は、できるだけオープンな仕組みを採用するわけではなく、より強い囲い込みが可能となる手法を好みがちです。 逆に、「オープンさ」というのは、業界第一位の事業者ではなく第一位の事業者に対抗しようとする事業者連合が提唱するか、最初は注目されていない業態にある事業者がマーケットを造り上げるために提唱することが多い印象があります。

最初から非常に大きなマーケットがそこにありそうだとわかっている電子書籍に関しては、各種方法を使って各事業者が囲い込みを狙うのだろうと思われますが、競争に決着がついて寡占事業者が決定するまではフォーマットの乱立状態は続きそうです。

電子出版はネット検閲の具になりそう

紙による出版が全て滅び、特定の事業者による寡占状態が出来上がった市場では、検閲が非常に容易になります。 たとえば、電子書籍を扱う最大手が国内の8割の電子書籍を扱うようになると同時に紙による出版が絶滅したとき、国家は特定の思想に基づく書籍を「1社への要請」一つで行えるようになります。

国家による検閲以外に、特定の事業者による検閲もあります。 たとえば、昨年、講談社のコミックの30%がiPhoneアプリとしてリジェクトされたという記事が話題でした。 血が描かれていると暴力的であるとして却下されたり、マッサージ中に伸びをして誤って胸が露出したという表現がアウトで「働きマン」が掲載却下されたことが紹介されています。

海外の企業が日本で寡占状態を達成した場合には、その企業の国での表現基準が日本においても強要されるのだろうと思えます。 毎週パンチラが掲載される少年誌が認められない国が結構ありそうです。 漫画だと、肌の露出以外に宗教的もしくは文化的な理由によって思わぬ表現がNGとなる場合もあり得ます。

最後に

ということで、自炊をする手間をかけなければならないという意味では非常に不便ではありますが、その一度の不便さを我慢さえすれば、自炊を行っている読者が市場に対してまだ少数である現状は実はバランスが取れていて自由も大きいと考えています。

限られた読者が自炊を行いつつ電子書籍を楽しんでいる間は、自炊という行為そのものが法的に否定されることはなさそうだと思われますが、様々な事件や判例が積み重ねられて「私的複製」がなくなってしまうような状況にならなければ良いと思うこともあります。

現時点での自炊に関するバランスが今後も長くは続くとはあまり思えませんが、不便さが存在しているための便利さもあるのではないかと思う今日この頃です。

おまけ:コンテンツを見ないでコレクションしている人々

昔々にWarezが流行った頃や、P2Pによるファイル交換が流行っていた頃からそうなのですが、海賊版コンテンツを鑑賞せずにひたすらコレクションしている人々というのが一定数存在している気がしています。

電子書籍に関しても同様の傾向があるのかも知れず(自炊による電子書籍化は海賊版ではありませんが)、「君は本当にそんなに大量に本を読むのかい?」というか、「読むことよりも自炊して電子データを集めることが目的化してない?」と思うこともあります。 そういう意味では、手間がかかる「自炊」というのは実は「楽しさ」もあるのかも知れません。

もしくは、時間と手間がかかる自炊は、無節操に大量のコンテンツを溜め込むことがなく、デジタルコンテンツを手元で生成する速度と読み終わる速度が一致するから良いというのもありそうです。 まあ、そういう「楽しみ」は、きっと極端な事例ですけどね。

最近のエントリ

過去記事

過去記事一覧

IPv6基礎検定

YouTubeチャンネルやってます!